すみやきの小説置場

小説を書き始めた18歳から三十路の今に至るまでのすみやきの小説置場

彼女は今日もハンバーグを食べる。

 彼女が美味しそうに食べる顔が、僕は好きだった。はむっ、とほうばって、もむもむと一生懸命かむ。そして、飲み込む時に彼女が浮かべる笑顔、それが僕は好きだった。どんなに面白い漫画よりもどんなに夢中になるテレビゲームよりも、どんなにくだらないバラエティ番組よりも、彼女の笑顔の方が好きだった。昼休みの校舎裏。ここは完全に僕と彼女以外誰もいない世界。ただでさえ、人が来ない校舎裏という場所に加えて、冬という季節が重なる。この場所に好き好んで来る生徒なんて誰もいないだろう。僕と彼女の二人をのぞいては――。元々、この校舎裏は園芸部の畑が広がっているらしい。だが、園芸部が廃部になってから五年近くも経つ今となっては完全にただの更地と言った感じ。さらに学校が存在するここは、一応関東地方に属しているものの甲信越地方との県境に位置する。だから、冬は豪雪地帯と化すわけ。用務員のおじさん、おばさんと教師合同の雪かき舞台もこの何も使われていない元畑はガン無視するようで、校舎裏はいつも雪のスポンジに覆われている。唯一、園芸部の拠点だったことを表す切り株のベンチに座る僕ら二人は端から見たらかなり異様だろう。だが、こんなところまでわざわざ僕ら二人を端から見る生徒もいない。ここは学校にいながら学校という現実を忘れることができるという不思議な空間だった。そんな不思議な空間で僕らはランチとしゃれ込む。といっても僕は彼女の食事する様子に見とれているだけなのだが――。
「……どうしたん?」さすがに彼女も視線に気がついたようで、食べるのを止めて僕の目をじっと見つめてくる。まいった。見つめるのは大得意な僕だが、見つめられるのは大の苦手なのだ。彼女の目は細くって、いつも笑っているように見える。だけど、僕のことを見つめている彼女の目は見開いていて、いつもと違う彼女を見せつけれられたようで胸の部分が少しひりひりした。瞳はとても澄んでいて、吸い込まれてしまうかと思うほど。恥ずかしくなって思わず僕は目をそらす。そんな僕をやっぱり不思議そうな顔で彼女はのぞき込む。彼女の鼻が赤くなってきているのに気づくのにはそう時間はかからない。やっぱり冷えてきたのだろう。もしかしたら僕の鼻も赤くなっているのかもしれない。ただでさえ、寒いこの季節、この土地の外にいるのだ。さらに僕らが食べているものも決して温かいとは言えない。
「そろそろ教室に戻ろうか」「ちょっと待って。これ食べちゃってから」
 そう言って最後に一口。ゆっくりゆっくり、名残惜しそうに口を動かしている。そんなにゆっくり食べてたら風邪を引くよ、僕はそう言いたかったけど、彼女の幸せそうな顔を見るとそんな言葉はどこかへ消えて行ってしまった。だけど、実際問題、彼女がゆっくりと食事していると確実に風邪を引いてしまう。それは冬だからとか雪だからとか僕らが学校の制服だからとかそういうのじゃなくて――。
「最後の一口……と思ったけど、おまけでもう一口!」彼女はその白いものを指でつまむと再び幸せそうに口へと運ぶ。
「食べ過ぎると風邪引いちゃうって」今度こそはちゃんと注意できた。だってこのままだと彼女が本当に風邪を引いちゃうから。だって、僕らが食べているこの白いものは、何を隠そう『雪』なのだから――。
 僕らがなぜ雪を食べているか。雪が大好きだから? 別に雪は嫌いじゃない。確かに雪かきをしなければならなかったり、普段車で一〇分くらいの学校が一五分くらいかかってしまって迷惑な存在ではある。だけど、雪が降り積もるあのわくわくする感じとか、降り積もった雪原に思いっきりダイブしたくなるあの感じとか、別に悪いやつではないと思う。だけど、食べ物として雪を好きかと聞かれたら答えはノーだ。だって、そうだろう。もしも雪がとても美味しいものだったら今頃雪国の主食は雪になっているだろう。だけどそうなってないことからもわかる通り雪はそんなに美味しいものではない。だって、味がないから。味がないものは美味しくない……と思う。少なくとも僕は美味しくないと思う。じゃあ、何で美味しくないものをわざわざ食べているのか。理由は簡単、食べるものがないから。別に今が世界の終わりだったり日本が大飢饉に見舞われているとかそういうわけではない。現にクラスメイトは学食で日替わり定食をかっこみ、教室でパンや弁当を食べながら談笑しているわけで……。だけど、僕ら二人は違った。食べ物が全く与えられなかったのだ。学校からも、そして家族からも――。
 次の日の昼休みも僕らはいつものところでいつものように雪を食べた。教室から抜け出して、誰にも見つからないようにこっそりと。まあ、別に見つかったからと言っても誰も文句は言ってこないだろう。なにせ、あるのは雪だけなのだから。誰も二人で雪を食べているようには見えないだろう。ただ、寒さで頭がおかしくなって生徒二人――という風にしか見えないと思う。
 僕らは黙々と雪を食べる。だって食べないと死んじゃうから。ある程度、僕らの周りの雪がなくなってくるまで食べ進めて行くと僕らは少しだけ落ち着いてくる。雪だろうがなんだろうが、胃に物が入ると落ち着くように人の体は出来ているらしい。
 彼女は何も言わず僕にほほえみかける。この笑顔があれば、僕は何も食べなくても生きていける――そんな気がした。だが、僕は大丈夫でも彼女は大丈夫ではなかったようで、彼女のお腹からは、くゅーと可愛いお腹の虫がなった。彼女のお腹の虫はどうやら雪では我慢できないらしい。そりゃ、そうだ。地球上にいるほとんどの虫が雪を食べても生きていけないのだから、きっと彼女のお腹の虫だって、雪だけじゃダメなのだろう。
「いつか、雪以外のものをお腹いっぱい食べたいね」さっきと同じ笑顔を彼女は浮かべた。
「そうだね」僕はそう答えるのが精一杯だった。他に何て答えがあっただろう。きっと先生に聞いてもネットで検索してもこの答えはでてこないんだろう。
「あ、そうだ」手前の雪をすくうと彼女はまんまるに丸め始めた。
「雪合戦でも始めますか? それとも小さな雪だるまでも作る?」「そうじゃなくってこれは――」僕の前に置かれたまんまるに丸まったもの。
「ハンバーグだよ」ハンバーグっていうのはあの洋食のハンバーグだろうか。まんまるに丸まった白い物は僕の知ってるハンバーグではなかった。もしかしたら、世界には僕の知らないところでこれをハンバーグと呼ぶ地域もあるのかもしれない。
「食べていいの?」「もちろん」僕はそのいハンバーグを口に入れる。じゅわじゅわの甘い肉の脂が口いっぱいに広がる……わけはなく、ただ堅い冷たい絡まりが喉を通るだけだった。そりゃそうか。雪だもの。これ。このまんまるに丸まった白いものはハンバーグじゃなくて雪だもの。
「……美味しい」僕がそう言うと、彼女は笑った。いつものように寂しそうに――とにかく寂しそうな笑顔を彼女は浮かべていた。それも含めて、そんな彼女が僕は好きだった。

 僕らが――校舎の裏で雪を食べていた僕と彼女が新聞に載ったのはそれから一週間後のことだった。餓死とか凍死とかで新聞に載ったわけじゃない。だって、現に今、僕はこの物語を君に話しているわけだから。そうだろ? でも新聞に載ったといっても一面をでかでかと飾ったわけではない。しかも、全国紙ではなく、地方紙の「暮らし、健康」面の片隅に載っただけだ。文科省が主催したダイエットプログラムの最初の成功者として――だ。
僕と彼女は、オブラートに包むと「体格がいい」、医学的に言うと「肥満」、世間一般に言うところの「おデブ」という存在だった。ただでさえ話題のない田舎の学校はこのプログラムに食いつき、真っ先に僕らを指名してきたのだ。プログラムで決められたプロテインとほんの少しの水を摂取できるだけ。その他のものは学校だろうが家庭だろうが摂取してはならない。そんな成長期の体を無視したプログラムだったから、当然ほとんどの参加者がリタイアしたり体調を大幅に崩したりしていた。その中、唯一成功したのが僕らだったらしい。実際のところ雪を食べていたのでプログラムには若干違反していたのだが、そんなことは僕と彼女以外誰も知らない。

 僕と彼女は、また校舎裏にいた。食べているのは雪で作ったハンバーグ。減量に成功した僕らはもう何を食べてもよかった。別にプログラムの外に出れば何を食べようとリバウンドしようと自由なのだ。僕らは本当のハンバーグも食べに行った。じゅわじゅわの甘い肉の脂が口いっぱいに広がる本当のハンバーグ。幸せだった。美味しそうな彼女の顔を見るのが……。だけど、なんだか本物のハンバーグは僕らの腹の虫には荷が重すぎたみたいだった。だから、ハンバーグを食べた。次の日、また僕らは校舎裏で雪のハンバーグを二人で食べた。見た目が痩せても彼女は彼女のままで細い目も吸い込まれそうな瞳もやっばり僕の胸をひりひりさせる。
 ただ、一つ変わったこと。彼女が寂しげな笑顔を浮かべなくなったこと。僕にとっては好都合以外のなにものでもないのだが、やっぱりあのときの笑顔も好きだった。彼女が作った雪のハンバーグを食べながら、今度は僕が寂しげな笑顔を作る。(了)