すみやきの小説置場

小説を書き始めた18歳から三十路の今に至るまでのすみやきの小説置場

富岡さんはきっと脱法的なアレなんだ。(1)

第一話 富岡さんはきっと脱法的なアレなんだ。

 

 ご飯粒が食べたいと思った。

 

 なにー? ダイエット中? そんなに日頃、おなかすいてるの? だめだよ。ちゃんと食べなきゃ。そんなことを言う人もいるかもしれない。

 

 だけど、私は別に特別おなかがすいているわけではないし、絶賛ダイエット中というわけでもない。

 

 今は現在進行形でお昼休みのランチタイム。お母さんの作ってくれたたまごサンドにご満悦中なわけなのである。

 

 柔らかいマヨネーズの酸味にとろけそうになる。

 おっきくて、ふかふかたまごサンドをベッドにすやすや眠りたい……そんな衝動にかられていたりもする。

 

 たまごサンドでおなかがふくれているのだけれど、まだどうしても食べたいものがある。

 

 窓際の一番後ろの席。ばれないようにそっと振り返ってみた。

 彼女は一人、おにぎりを食べている。両手でおにぎりを持つ姿はハムスターそのもので、なんだかもう見てるだけでほわほわしてくる。

 

 ゆっくりゆっくりとおにぎりを口に運ぶ。

 ぷっくりとした唇がご飯粒に触れる。

 左頬には、一粒のご飯がちょこんとお留守番状態。

 おべんとつけて、どっこいくの? って状態のあれだ。

 

 私は、あのご飯粒が食べたい。

 

 もっというと彼女の頬に口づけしたい。

 ていうか、好きだ。

 彼女が、富岡さんが好きだ。だからご飯粒が食べたい。というより、富岡さんを食べてしまいたい。

 

 ものすごく好きだ。

 うん、好き。



  ◇

 

 なんで、私は富岡さんより前の席なんだろう。一日、三〇回はこの人生の疑問にぶつかる。富岡さんよりも後ろの席だったらずっと彼女を見ていられるのに。

 

 彼女の姿を見るためには、わざわざ後ろを振り返らないといけない。つまり、彼女の姿を想像しながら、一日過ごさなければならないわけ。

 頭の中の富岡さんは、すごく優しい。

 

 私を怒るわけでもないし、無視するわけでもないし、いじめるわけでもなく、ただただ私に向かって笑ってくれる。

 

 彼女が私の脳内にいるだけで幸せなのだけれど、本物の富岡さんが実際に私の後ろに座っていると思うと興奮さえ感じる。だって、大好きな富岡さんが二人もいるのだ。

 

 私の頭の中とこの教室の中にそれぞれ一人ずつ。

 なんだかものすごく贅沢な気分だ。

 カレーライスにオムレツとコロッケを載せた――そんなくらいに贅沢。贅沢すぎて油酔いしてしまいそうになる。

 

 けど、今の私はものすごく欲張りになっているみたい。

 脳内の彼女だけでは飽きたらず、現実の彼女を目に焼き付けたくなっている。

 

 これだけ、贅沢な気分を味わっているのにも関わらず、私はまだ欲しがっている。

 

 オムレツ、コロッケ載せカレーライスを食べ終わった後にまだデザートのチョコレートバナナサンデーを欲しがってるみたいな感じ。明らかにカロリーオーバー。だけど、私は富岡さんを眺めたくてしょうがない。

 

 たぶん、富岡さんはものすごく中毒性を持っているんだと思う。

 チーズたっぷりのハンバーガーがやめられないように、ニンニクアブラカラメなラーメンがやめられないように、私は、富岡さんを欲してしまうのだ。

 

 スマホを取り出し、カメラアプリを起動。レンズを反転させると、私の顔がアップで映し出される。自分撮りモードというやつ。

 そして、私は髪の毛をいじりはじめる。あたかもスマホを鏡代わりにして、髪を整えているように演技する。

 

 実際は髪の毛をいじりたいわけではない。スマホを少しずつ顔からずらす。すると、私の顔と富岡さんが……写る。

 

 どきっとする。

 

 体全体がふわふわして、なんだかどっかに飛んでいってしまいそうになる。やっぱり、私この人好きだ。どうしても、どうしても、私は富岡さんが好きだ。

 

 富岡さんは、机に突っ伏して寝ているようだった。ご飯後の現国だもん。しょうがないよね。

 

 まあ、食後とか現国とか関係なく、いつも机に突っ伏して寝ているのだけれど。ホームルームだろうが、保健体育だろうが、自習の時間だろうが、常に富岡さんは眠っている。

 

 なぜ、ずっと寝ていられるのか。

 

 これは推測でしかないのだけど、たぶん誰も起こす人がいないからだろう。

 

 ここはいわば「名前が書ければ入れるレベル」の高校なわけで、当然ながらまともに授業を聞いている人なんていないわけで――。

 

 現国の先生は、誰に向けているのかわからない方向に向けて口を開くし、誰に見せているのかわからないような小さな字で板書をする。

 

 生徒は、だいたいスマホをいじっている。携帯ゲームしたって雑誌を読んでたって、怒る人もいないし、叱る人もいないし、あきれる人もいない。そんなよくわからない空間。

 

 だけど、そんなよくわからない空間だからこそ、スマホ越しに富岡さんを眺めることができる。富岡さんは富岡さんで熟睡ができている。今の私にはものすごくありがたい環境なのかもしれない。



   ◇

 

 富岡さんは一日で二回だけ起きるタイミングがある。お昼休みと放課後、である。

 

 お昼休みは、しばらく寝ぼけ眼でぼーっとした後、ハムスターのようにおにぎりを食べる。おにぎりを食べておなかがいっぱいになったらまた眠る。

 そして、最後の授業が終わったと同時にむっくり起き出してしばらくぼーっとする。その後はひっそりと教室を出る。その後は下校している……のだと思う。

 

 これは教室を出る彼女を遠くから見ることしかしていない私の推測でしかない。だって、後からついて行ってしまったら完全なストーカーだもの。いや、スマホ越しに彼女を眺めている段階でストーカーっぽいと言えばストーカーっぽいのはわかってる。

 

 だけど、尾行という行為は踏み越えちゃいけないラインのような気がするのだ。ていうか、おそらくばれるし。ばれたら困るし。




 今日も今日とて、放課後がスタート。いつもなら、富岡さんはむっくり起き出す……はずだった。

 でも、まだ起きていない。彼女の中の時計の電池が切れてしまったのかな。

 

 またスマホ越しに彼女を見る。五分たっても一〇分たっても富岡さんは起きない。

 そんなことをしているうちに、いつのまにか教室には富岡さんと私の二人だけになってしまった。

 思わず、富岡さんに見入ってしまう。スマホ越しじゃなくて、直接――だ。

 

 小柄な富岡さんの突っ伏している机はなんだか大きく見えてくる。この机を含めて富岡さんは、とても可愛らしい。

 そっとその大きく見える机に近づいてみる。



 死んじゃうかと思った。



 あまりに彼女の寝顔が綺麗だったから――。

 いつまでも見つめていたいような気がした。

 

 ぎゅっとしたいと思う。強く、ぎゅっとしたいと思う。

 間近でこの寝顔を感じたいと思う。

 そして、ご飯粒が食べたいと思う。

 彼女の唇についたままのご飯粒が食べたいと思う。

 彼女の唇からは、甘い匂いがした。この匂い、私大好物だ。

 大好きな彼女から大好きな匂いがする。それだけで無性に嬉しい。

 そして、私は唇を重ねて――。



 ご飯粒を食べる。



 ご飯粒は、少し堅くて、少し甘くて、優しい味がした。

 唇を重ねている間、今までにないくらい私の心臓が大変だった。

 人生で今が一番心臓がどくんどくんいっている。

 

 彼女の唇を咥えてみる。溶けてしまうかと思った。いや、いっそのこと私ごと溶けてなくなってしまえばいいのに――。もう、このままいなくなってもかまわないと思った。だって今、大好きな富岡さんと唇を通じて一つになっているのだから。

 

 私の髪と彼女の髪が重なる。もう、いっそのこと私は富岡さんの一部になってしまえばいい。

 唇が急に熱くなる。それと同時にざらっとした感覚が私の唇に残った。

 べろだった。富岡さんのべろだった。

 前歯に彼女の舌がぶつかる。大変だ。本当に大変だ!

 思わず、彼女から口を離してしまう。

 顔の火照りが尋常じゃない。今だったら本当に顔から火が出るんじゃないだろうか。マッチ箱のざらざらした茶色の部分に私をこすりつけたらきっと勢いよく燃えさかるに違いない。




 こんなにも私は熱くなってしまっているのに、富岡さんのまぶたは閉じたままだった。

 ほっとしたと同時にちょっと心配になってしまう。自分の唇が奪われているのに熟睡できているなんて――。

 間近で見る富岡さんはとてつもなく……よかった。綺麗だった、とか可愛いかった、とかそんな言葉じゃ足りなくて、とにかく、よかった。

 

 まつげが長いんだなーって思う。このことを知ってるのは私だけではないだろうか。

 まるでお人形みたいだ。そこが、こう、すごく――いい!

 そのお人形みたいなまつげが少しずつ動いてるのがわかった。ゆっくり、ゆっくりとあがっていく――。



 目があった。



 一瞬、石になるかと思った。

 試しに親指を少し動かしてみる。何の抵抗もなく動くので石になることはどうやら避けられたみたいだ。

 いかにも寝起きって感じの富岡さんは教室全体を見渡し、そして、また私に視線を移す。

 

 私にむかってぺっこり、とお辞儀をする富岡さん。本当に「ぺっこり」という言葉が横から浮かんできそうなくらい可愛らしい。

 私もつられてお辞儀を返す。すると、向こうはあきらかに「あ!」と何かを思い出したような仕草をすると、机の中から一枚のルーズリーフを取り出した。

 

 授業はほぼ寝ているのに一応持ってるんだ、ルーズリーフ……なんて、どうでもいいことに感心している私を横目に、富岡さんはペンを走らせている。

 

 そして、そのルーズリーフを私に渡した。




【起こしてくれたんだよね? ありがとう!】




『書写』とか『かきかた』とかそういう授業の教科書に載ってるお手本みたいな字だなと思った。

 反射的にまたおじぎをしてしまう。

 それを見て富岡さんが、笑った。

 初めて見る富岡さんの笑顔。

 

 それが、嬉しいのと同時になんだか信じられない気分になる。なんだか今日はうまくいきすぎている。

夢じゃないだろうか。この後、高級そうな壺やら浄水器やらイルカの絵画やらを買わされてしまうんじゃなかろうか。

 

 でも、そんなことはどうでもいい。

 夢だとしても覚めたらいい。壺でも浄水器でも絵画でもなんでも買ってやる! 毎日コーヒー一杯を我慢するだけと思えば決して高くはない! 富岡さんの笑顔が見られたのだから――。

 この笑顔をもっともっと見られたらいいのにな。今まで特にこれと言ってわがままを言ってこなかった私にとって、これは初めての希望というものなのかもしれない。

 富岡さんの笑顔をもっともっと見られたらいいのに。



 そして、富岡さんの声を聞けるようになればいいのに。



 彼女がわざわざ私のために書いてくれたルーズリーフの文字を見つめながら、私は耳元を軽くひっかく。



 ◇

 

 チャイムの音だとか、誰に向かって言ってるんだかわからない教師の説明だとか、椅子の足が床にこすれる音だとか――、そんなものは聞こえなくったってもはや何とも思わない。

 

 ただ、富岡さんの声が聞こえないのは、損だ。すっごく損だ。




 今日は午前中から富岡さんの姿が見えなかった。机には彼女のバッグがかかっているので、欠席というわけではない。

 

 私には彼女がどこにいるのか、わかる気がした。何でわかるのか、と聞かれたら『勘』と答える以外ない。

 

 犬のようにするどい嗅覚を持ち合わせてはいない。なのになんで私は、犬のように彼女の在りかを捜し当てることができるだろう。

 だって、好きだから。好きで好きでたまらないから。その好きでたまらない彼女のところへ、私は今から向かいます。勘を使って……。

 

 結論から言うと、私は富岡さんを見つけることができた。保健室の一番右のベッド。そこで富岡さんは眠っていた。

 保健室という場所、そしてその中で三つあるベッドの中から富岡さんの居場所を見つけてしまったのだ。

 

 自分で自分が怖い。もしかしたら私は妖怪とか化け物の類なのかもしれない。

 ベッドで寝ている富岡さんもやっぱり、こう、すごくいい! 百点満点。

 保健室には富岡さん以外に休んでいる生徒はいない模様。保健室の先生も席を外しているようだった。

 

 えっと……私は何をすればいいのだろうか。

 会いたくて会いたくて仕方がなかったはずなのに―― いざ彼女を目の前にすると何をしたらいいかわからなくなる。どうしたらいいんだろう。こんなことしてて、もしも富岡さんが起きちゃったら……。

 

 その瞬間、私から「どうしよう」とか「何をしたらいいんだろう」とか、そういった考えは全て頭の中から消えてなくなってしまう。



 富岡さんが起きた。



「どうしよう」とかいう問題ではなくなった。もはや「ヤバい」とか「もういっそのことここで死んじゃえないかな」とか「私は貝になりたい」とかそんなことを考える余裕もない。

 

 ただただ汗が頬を伝った。耳の後ろから汗が吹き出てくる。たぶん身体が私に教えてくれているのだ。もう限界だよ! って。観念したほうがいいよ! って。ユー謝っちゃいなよ! って。

 

 たぶん私は、この後、富岡さんに叫ばれるんだろう。

 その叫びを聞いた職員室の先生達がおそらくやってくるだろう。

 その職員室の先生達は、警備員のガチムチお兄さんを呼んでくるだろう。

 そしたら、警備員のガチムチお兄さんは、警察のガチムチおじさまを呼んでくるだろう。

 

 私は署まで連行されて、ガチムチ刑事さんに取り調べ室でカツ丼を口に含まされ、ガチムチのハゲおじいさま裁判長に懲役を言い渡され、ガチムチ模範囚と一緒に余生を過ごすことになるだろう。

 もうガチムチはたくさんです。おなかいっぱい。

 おじいちゃんおばあちゃんの家に遊びに行って出された好きでも嫌いでもないものを建前で「おいしい!」って言ったら大好物と勘違いされて、遊びにいくたびに大量に出されるあの感覚と一緒だよ!

 もうたくさんです! おじいちゃんおばあちゃん

 もうそんなにたくさんの「らくがん」はいりません。口の中がからっから――。

 

 ごくっと唾を飲んでみる。

 らくがんを想像したせいでからっからの私の喉に生ぬるい唾が居心地が悪そうに通りすぎて行く。

 

 長いまつげがこっちを向いてる。

 緊張でさらに汗が吹き出てきた。もう、私の中の水が全て出て行ってしまう気がする。このまま干からびてぺらっぺらになって「いったんもめん」みたいに飛んでいってしまえたらいいのに。

 富岡さんは、叫ばない。叫ばずにずっと私を見てる。思わず逃げ出したくなってしまう。

 だけど、どこへ逃げていいのかわからない私は、ただただ立っていることしかできない。



 ふわふわしている。



 何もできないで立っているだけなのに、なんだかふわふわする。

 何だろうこのふわふわは……、そう思い、右手を見てみる。



 富岡さんが私の手を握っている。



 そうか、富岡さんの手ってふわふわしてるんだ。

 気持ちがよかった。女の子に手を握られたのってどれくらいぶりだろう。

 女の子の手って人を幸せにしてくれるんだ。ふわふわふわふわして、決して人を傷つけることがない。ぜひノーベル平和賞を受賞していただきたい。

 富岡さんは私の手を引っ張る。拒むこともできず、身を任せるままに引っ張られてみる。

 

 結果的に私と富岡さんは、ベッドに川の字になった。いや、二人だけだから川の字ではないか。「り」の字、もしくは「=」の字とでも言うべきか。

 これは、いわゆるひとつの「添い寝」という状態。

 富岡さんと、私が、添い寝。大変だ。

 

 巷ではお金を払うと女の子が添い寝してくれるお店があると聞く。場所が場所だったら私が富岡さんにお金を払わなければいけないのだ。

 っていうことは、富岡さんは私にお金を請求しているってこと?

 払えません払えません。私は月々の携帯料金だって困っている身分の人間でございます。私の身体でなんとか! ……なんてことを言い出せるわけもない。

 

 富岡さんは、ふわふわな手を私の頭に乗っける。さっきまでの緊張だとか不安だとか、私の頭の中のマイナスなものが全て抜けていくような感覚。

 そうなんだ。きっと富岡さんは麻薬なんだ。

 脱法的なアレなんだ。そうなってくるといろんな意味で捕まってしまう。ガチムチな以下略にいろいろされてしまう。

 

 富岡さんの指が私の髪に絡んでいくのがわかる。こんなことだったら高級なシャンプーと高級なリンスと高級なコンディショナーで朝シャンとしゃれ込めばよかった。まあ、当然ながらそんな高級なシャンプー一式的なものは持っていないどころか見たこともないんだけど。

 

 富岡さんの指が髪から私の耳のほうへと移動していくのがわかる。

 そこはだめ。耳だけは、どうか耳だけは。本当に耳だけは!

 そんな私の心の声は彼女に届くはずもなかった。そして、富岡さんは、私の耳元に指をかける。




 富岡さんが、私の耳から、ヘッドホンを、外した。



 私はいろんな人からいろんなことを言われる。

 みんながみんな私のことを見ているし、指を指すし、私の悪口を言う。髪を笑う。服装を笑う。そして顔を笑う。

 

 そんな笑い声が、私にとっては恐怖でしかない。

 私の前で笑うな! 笑うなら私のいないところで笑え! 話すな! しゃべるな! だべるな! じゃれるな! とにかく声を出すな!

 そんな私もヘッドホンをつけてれば普通でいられた。

 

 これさえつけていれば私は透明になれる。

 誰も私のことは見えないし、当然私を笑うこともできない。

 自転車や車にひかれそうになるけど、思い通りに自分の声を出せなくなるけど、笑われるよりはずっとマシだ。 

 自転車にだって車にだってひかれてやる。ひかれてやるから私の耳から声を取り除いてくれ。

 

 だからヘッドホンは私にとっては心臓と同じだ。なかったら死んでしまう。

 そんな私にとっての心臓を、取り上げられてしまった。たった今、大好きな富岡さんの手によって――。



「耳、きれいだね」



 鼓膜を通して聞こえてくるそれが「声」であることを理解するのに少し時間を要し、さらにその声が富岡さんのものであると理解するのにもさらに時間を要した。

 

 こんな気持ちのいい音は初めてだった。声って気持ちがいい。やっぱり富岡さんは脱法的なアレなのだ。

 声を出そうと思った。声に出して私の思いを彼女に伝えようと思った。

 でも、できなかった。富岡さんの唇が私の口をふさいでしまっているから。



「ん……」



 富岡さんの息づかいが聞こえる。それだけで、体温が三度くらいあがってしまいそうになる。

 口の中がざらっとした。前にも一度味わったことがあるこの感覚。

 

 べろだった。

 吐息と熱い舌が私の口に入る。

 溺れてしまうかと思った。いっそのこと溺れてしまえと思った。さっきまでからからだった口が瞬く間に潤っていく。

 ゆっくりと熱い舌は私の口から出て行ってしまった。

 

「この前の続き」

 

 気持ちのいい富岡さんが気持ちのいい声を出す。

 

「起きてたんだ?」

 

 私の声に自分自身で驚いてしまう。自分で声を出すのなんてどれくらいぶりだろう。自分がまだ声の出し方を覚えていたなんて……。

 

「その声が聞きたかった」

 

 富岡さんは、また熱い舌を私にいれた。手にはヘッドホンを握ったままだ。どうやら返してくれる気はないらしい。

 ヘッドホンなしで私はどうしたらいいのだろう。もしかしたら生きていけないかもしれない。だって心臓がなくなってしまったんだもの。

 

 そうか。死ねばいいんだ。

 溺れて、死んでやる。

 私は、自分のべろを押しつけた。もう、明日なんてどうにでもなれと思った。

 

 富岡さんの口から甲高い吐息が漏れる。

 彼女の手から離れたヘッドホンが床に落ちて、そして割れる。

 そんな音が聞こえた。

 

第一話 富岡さんはきっと脱法的なアレなんだ。(了)