すみやきの小説置場

小説を書き始めた18歳から三十路の今に至るまでのすみやきの小説置場

富岡さんはきっと脱法的なアレなんだ。(4)

第三話 やっぱり砂糖は甘いし、コーヒーは苦い。ビールはもっと苦い。



 大人って楽しいもんだと思ってた。

 

 だって、私の周りにいた大人っていっつも笑ってたし、苦しい顔をしてる人なんて一人もいなかった。

 

 だから、大人になれば無条件に楽しい毎日になるんだと思ってた。

 

 子供だから、楽しくもない勉強をしなければいけないし、嫌な体育をやらなければいけないし、まわりにいじめられるんだって思ってた。

 

 早く大人になりたかった。苦いコーヒーを飲んだり、苦いビールを飲んだり、苦いふきのとうを食べたりすることが大人だと思ってたし、そうすることで楽しい生活を送ってるんだと思ってた。

 

 いつのまにか二三歳になっていた。

 

 コーヒーはミルクと砂糖をいっぱい入れるし、ビールは苦いし、そもそもおいしくないし、ていうよりお酒にそれほど強くないし、ふきのとうは別においしいものじゃない。

 

 そもそも二十歳を過ぎたあたりから笑ってない。

 

 なんとか入った大学では友達もいなかったし、就職活動もうまくいかなかった。

 

 というよりいろんなものから逃げた。楽な方楽な方へと逃げた。

 

 人と接したくないからサークルやゼミに入らなかった。企業説明会やらに一回言っただけで立ちくらみをしたのでその時点で一般企業への就職をあきらめて、なりたくもない教師への道を選んだ。

 

 そして、競争率の低そうな地方の私立高校になんとか採用された。

 

 喜んだのは両親くらいのもので昔から言葉数が少なくっていじめられっこだった私が学校の先生になんかになったもんだから、ここぞとばかりに周りに自慢して回っているらしい。

 

 地元と違う県の私立高校でよかったと思う。

 

 だって、この学校のことを知ってる人だったら、決して褒めるなんてことはしないから。

 

 あと、両親が機械音痴なのも助かった。

 

 携帯電話はもってはいるものの、通話しかできなく、インターネットはおろか、メールもろくにできないほどの機械音痴で助かった。

 

 検索サイトで学校名、そして一つスペースを開けただけでこの学校が決して褒められない理由がわかる気がする。

 

 そもそもいじめられっこだった私は、高校生なんて別に好きではない。

 

 好きではない、というよりも怖い。

 

 どうしても自分が高校時代の同級生を思い出してしまうのだ。

 

 そんなの慣れだと思ってた。いくらなんだってもう二三歳にもなるんだし、高校生なんて五つ以上も年下だ。

 

 だけど、やっぱり怖いものは怖かった。

 

 そりゃそうだ。子供の怖かったホラーものの映画だって今見たって怖いのだから。



 だって、彼女らは私を人として見てはくれない。そもそも会話がなりたたない。

 

 ただ、その場所にいるだけ。教室という中にいるだけ。そうすれば出席になるから。

 

 教室にいる人数を把握して、私が出席簿に記入する。彼女達はそれが目的なのだから。私が先生としてどんな話をするか、なんてことはどうだっていいのだ。

 

 だから、私は今日も誰も聞いていない中、教科書を進める。

 

 やってることは自分の部屋でただぶつぶつぶつぶつ言ってるのと変わらない。

 

 そして、チャイムが鳴ったら職員室に戻る。

 

 こうしてれば、勝手にお給料は振り込まれる。

 

 おそらく、完全に私が授業をせずにただ教卓で眠りこけていても同じ額が振り込まれるだろう。

 

 たまに授業中に窓ガラスに自分が映る。

 

 私が子供のころ描いていた大人と全く違う自分の姿がそこにはいる。

 

 大人って、こんなに楽しくないもんなんだ。



 私も高校は私立だった。

 

 自由な校風が――とかやりたい勉強ができるから――とかは建前で、いじめられないためだった。

 

 公立高校はいじめられる。

 

 いじめられっこの中での暗黙の了解だった。

 

 いじめられないためには頑張って勉強していい私立に行くしかない。

 

 だから、いじめられっこはできるだけ頑張って勉強したのだ。

 

 教科書を隠されても、ペンケースにチョークを粉ごと入れられても勉強するしかなかった。

 

 それで、なんとか私立に入ったいじめられっこは、いじめられっこではなくなる。

 

 代わりに立派な人間不信ぼっちができあがっていた。

 

 いじめられない代わりに誰とも関わることがない、ただ授業を受けて、お昼ご飯を食べて、まっすぐに帰る。

 

 誰ともしゃべることなく――。

 

 その人間不信ぼっちの一部は『大学デビュー』という名の生まれ変わりに成功するのだが、大半の人間不信ぼっちは、そのままずるずると社会人まで人間不信ぼっち引きずる。

 

 そして、挫折に次ぐ挫折、大挫折。私、今ココ!

 

 仕事を辞めることができたらどんなに楽か! 辞めることも怖いし、仕事に行くのも怖い。

 

 なんだかずっと怖い怖いお化け屋敷の中で過ごしてるみたいだ。

 

 怖いお化け屋敷をうろうろしているだけでお金がもらえて、ご飯が食べられる。もしかしたら、実にホワイト企業なのかもしれない。

 

 精神上はよくないけど。

 

 ここも私立高校ということでは私の通っていた高校と一緒。

 

 だけど、あのときの私に似たような人間不信ぼっちがいるかというと、そうではなかった。

 

 私の地元とは違い、この地方では公立こそ名門であり、上位の公立高校に通う生徒こそエリートなのだ。

 

 この公立高校エリートは、そのまま地元の国立大学に進学し、そのまま県庁や地元の銀行員となる。

 

 それが昔からある勝ち組コースなのだ。

 

 そして、その偏差値ピンキリの公立にも入れない生徒がいる。

 

 その生徒が通うのがうちの学校。

 

 つまり名前が書けて、入学金を払うことができれば誰でも入れる――そんな学校。

 

 そんな生徒が集まる教室で、ぶつぶつぶつぶつ言う。

 

 お化け屋敷の中で誰も聞いてないお話をする。それでお化けたちからもらったお金でお給料がいただけてるというわけ。

 

 お化けにゃ学校も……試験もなんにもない!

 

 そんなことはなく、学校も試験も存在する。ただ、限りなくイージーモードではある。

 

 出席も席に座ってればいい。試験も持ち込み可能な上、試験問題そのものの学習プリントを配る。

 

 それでもクリアできないお化けたちには超イージーモードとして補習をなんとか受けさせてクリアさせる。

 

 ここまでくるともう完全にチートを使ってるみたいなもの。

 

 そのお化けたちをクリアさせるこっちはハードモードな上、アイテムなし縛りプレイをやらさっれている……そんな感じ。

 

 ホワイト企業でハードモードアイテムなし縛りプレイ。それを毎日一二時間近くやってるのだから、そりゃ精神がおかしくなるってもんだ。

 

 ゲームは一日一時間!

 

 とある偉い名人は言ったけど、それを私は十時間以上やってる。

 

 お外で遊んできなさい! って言ってくれる母親もいないので今日もひたすらお化け屋敷でハードモード縛りプレイ。

 

 もういっそのことお化けになってしまいたい気分だ。




 このお化け屋敷にはいろんなお化けさんがいる。たぶん、いいお化けもいれば、悪いお化けもいるんだと思う。

 

 だけど、たいがいのお化けは私の方を向いてはいない。

 

 ほとんどのお化けが携帯電話をいじる。ぴこりん、ぴこりんと『らいん』とやらの音が教室のあちこちで鳴り響く。

 

 携帯をいじっていないお化けさんがいたと思ったら、化粧をしていたりだとか、雑誌を読んでいたりだとか、寝ていたりだとか――、とにかく授業を聞いているようには見えない。

 

 唯一、板書をノートに移している生徒もいるにはいるんだが、ヘッドホンで音楽を聞きながら――というありさま。

 

 きっと、音楽を聞くついでに暇だからノートでもとるか……みたいなスタンスなのだろう。

 

 時計の針は今日もゆっくり流れている。

 

 私が高校生の時も同じことを感じてた気がする。

 

 学校の時計っていうのは何かしらおもりがしてあって、本当はとっくに授業なんか終わってるんじゃないかって思ってた。

 

 まさか、学校の先生になってからも同じことを思うなんてね。

 

 もう、いい大人なのに。



 教科書をぶつぶつぶつ読んでいる。なんだかお経を読んでるような気分。

 

 これでお化け退治もできればいいんだけれど、宗教の関係か、向こうのヒットポイントが強いのか、全く持って効果はいまひとつのようだ。

 

 私は、全く攻撃をしかけてこない相手に対して全く効かない呪文をひたすらかけている状態。

 

 とりあえず、私のマジックポイントが終わらないように――なるべく疲れないように――とにかく一日を無事過ごすことに一生懸命だ。

 

 なんだ。やってることなんてずっと変わらないじゃないか。

 

 だって学生時代もずっとこうだったから。

 

 むしろ、大人になってからの方が生きるのにめんどくさくなったくらいだ。そうか、みんな子供には言わないんだ。

 

 大人ってめんどくさいよ……って。

 

 それで笑ってた。大人っていろいろ嘘つきだ。

 

 そんな嘘つきの中、嘘つき候補のお化けさん達にお経を読み、嘘つきな偉い人からお金をもらう。そんな毎日。

 

 もしかしたら、めんどくさいお化け屋敷にいるのは自分だけで、他の大人の人は楽しいメリーゴーランドだとか、ジェットコースターとか、そういうところで楽しく過ごしてるのかもしれない。

 

 だけど、私はずっとお化け屋敷にいなければいけないんだと思う。

 

 そんなことを思いながらお経を読み続けると、なんと重い時計の秒針が今日の終わりを告げてくれた。

 

     ◇

 

「ただいまー」

 

 なんて、言ってはみるけど「おかえり」って返してくれる相手もいない。

 

 それだったら、何も言わずに部屋に入ればいいものだけど、それはそれで無性に寂しくなってしまう。

 

 結局のところ、寂しいのだ。人間だもの。

 

 寂しさをひきずりながらも、手を洗ってうがいをする。

 

 別にもう褒めてくれる人はいないけど、やらなきゃやらないでなんだか気持ち悪い。

 

 私は私なりの帰ってからのやることリストがもう頭に入ってるのだ。

 

 家に帰ってきたら、まず誰に伝えるわけでもない「ただいま」を言う。

 

 そして、手を洗い、うがいをする。

 

 コートを脱ぎ、眼鏡を外す。

 服を脱ぎ――、ブラとショーツも外す。

 

 そして――、はだかんぼになる。

 

 誰に見せるわけでもなく、私ははだかんぼになる。

 

 昔からはだかんぼでいるのが好きだった。嫌なこととか悲しいこととか寂しいこと、そんなことが全部忘れられるような気がしたから。

 

 よく実家の時ははだかんぼでいるとお母さんに怒られた。それもそのはず。ちっちゃい子ならまだしも、中学、高校になっても娘がはだかんぼでいるのだから。

 

 でも、もう誰にも怒られない。だから開放感あふれるまま、私は明日への鋭気を養うことができるのだ。

 

 はだかんぼのまま冷蔵庫へ行き、きんきんに冷えたカルピスサワーを取り出す。

 

 本日もお疲れさまでした。……何もしてないけど。

 

 はだかんぼのままベッドに腰掛け、缶のままカルピスサワーに口をつける。

 

 おなじみの甘さが口の中に広がる。安心して飲み続けられるような安心感のある優しい甘さ。

 

 小さいころから大好きだけど、やっぱり大人になってからもやめることができない。たぶん、お母さんのおっぱいを卒業できない赤ちゃんのように、私はこの年になってもこの甘さを求めてしまう。

 

 だけど、大人の違うところは、この甘さにアルコールが入ってるというところだ。

 

 のどが少しずつあったかくなってきて、だんだん頭がとろんとろんになっていい気分になってくる。

 

 ビールとかワインとか焼酎とかそんな大人の飲み物のおいしさはわからない。

 

 だけど、カルピスサワーだけは私を裏切らない。昔ながらの味で私を気持ちよくさせてくれる。

 

 もし、カルピスサワーがなくなってしまったら生きていけるかどうかもわからない。

 

 もう、麻薬みたいなもんなのだ。

 

 本当の覚醒剤とかドラッグと違って、この乳製品ドラッグは規制されないからいい。

 

 もし、禁酒法なんてなったらカルピスサワーの飲めるところに高飛びしてしまうかもしれない。

 

 それがどこだかはわからないけど。

 

 一缶飲み干すと、とろんとろんのふわふわになってくる。

 

 姿鏡で身体を見てみる。うん。いい感じに酔っぱらって来ています。

 

 おっぱいもおしりもほんのり赤い。

 

 あんまり飲み過ぎると、次の日に起きれなくなっちゃうので仕事のある日は一日二缶までと決めている。

 

 それくらいの方が気持ちよく眠れるから。逆にそれ以上飲むと気持ち悪くなっちゃうのだ。

 

 冷蔵庫を開けると、ストックのカルピスサワー顔切れているのに気づく。

 

 ……しょうがないなあ。

 

 私は、クローゼットから白のダッフルコートを取り出し、はだかんぼの上に羽織る。

 

 玄関で裸足にロングブーツを履く。

 

 そして、部屋を出る。

 

 冷たい風が吹く中、私はコンビニに向かうのだ。

 

 肌にコート生地がちくちくする刺激とか、酔ってる肌にあたる風。

 

 実に気持ちいい。

 

 そして、人とすれ違うたびにわくわくする。

 

 きっと、この人達はこのダッフルコートの下がはだかんぼであることなんて夢にも思わないだろう。

 

 最上級に気持ちがいい。

 

 説明しよう。私は、酔っぱらうとちょっと変になるのである!

 

 というより、元からちょっと変なので、ある!




 すれ違う人の顔をじっと見てやったりもする。

 

 普段は人の目なんて見ることができないのに、眼鏡を外してぼんやりとしか見えないことと、アルコールが入ってる今の私だからできることだ。

 

 相手がどんな反応をしてるか、なんてこともこっちはわからない。そこがまた楽しい。

 

 楽しい。楽しい。楽しい。楽しいっ!

 

 アルコールの入ってる時ってすごく楽しい。あんなに楽しくなかった日常がこんなにも愉快に変わるんだもの。

 

 普段はお化け屋敷にいるのにお酒が入るとナイトパレードを見ているみたいに周りがキラキラして見える。

 

 ずっと、酔っぱらっていられればいいのに!

 

 酔っぱらっていても勝手にお金が入ってくればいいのに。

 

 いや、この際お金なんていらない! 冷蔵庫に勝手にカルピスサワーが補充されてればいいのに!

 

 そうすれば、お化け屋敷でお化けさんを相手にぶつぶつぶつぶつ言ってなくったっていいのだ。

 

 いっそのこと、お酒を飲んで授業をしてやろうか。そうすればあのお化け屋敷もナイトパレードに変わる。

 

 さまざまなお化けが軽快なリズムに乗って、明るい音楽と楽しいパレード!

 

 もう、なんて日だ! あはははっ!

 

     ◇

 

『ぴろぴろぴろーん、ぴろぴろろーん!』 

『らっしゃせー』

『お買い物中のみなさんこんにちはー。今週からこのコンビニだけにお送りするラジオプログラム――』

 

 お酒の力を借りれば、いつもと同じコンビニ風景もなんだか無性におかしい。

 

 なんだかコンビニコントでも始めたい気分!

 

『うぃーん』

『いらっしゃいませ』

『何名様ですか?』

『それ、客のセリフじゃねえだろ! あと、コンビニでそんなこと聞かねえよ!』

 

 的なね! オチは特に思いつかないけど! わー。あはははっ!

 

 そんな私を出迎えるかのようにお酒コーナーにはカルピスサワーのみなさんが並んでいた。

 

 ありがたいありがたい。全部買い占めてしまおう。あるったけのカルピスサワーを買い物かごに詰めると、レジの列に並ぶ。

 

 時間がちょっと遅めなのか、いかにも飲み会あがりで酔っぱらってます、みたいなお兄さんお姉さんたちが目立つ。

 

 酔っぱらってる人たちはいっぱいいても、この中でコートの下がはだかんぼなのは私だけだろうな、なんてことを思って勝手に一人でほくそ笑む。

 

『お待ちのお客様どうぞー』

 

 レジのお姉さんが私を呼んだ。

 

 え? お姉さん。私を誘ってるの? 

 なんてことを言い出したら真の酔っぱらいだけど、元の私が根暗を絵に描いたような性格故、アルコールが入ってるとはいえそこまで饒舌になることはない。

 

 アルコールは内気な人を陽気にするくらいの力はあると思うけど、私みたいな根暗のドンくらいになると、根暗のドンが普通の根暗になるくらいなので、端から見てもそこまでは変わらないとは思う。

 

 どうでも、いいけど『根暗のドン』ってなんか恐竜みたいじゃない。ネクラノドン。なんか『プテラノドン』みたいな! まあ! どうでもいいんですけどね!

 

『すいませーん。年齢確認のボタン押してくださーい』

 

 お姉さんが私の目を見てる……気がする。いや、見てないかもだけど、近視パワーでここは見てることにする。

 

【私は二〇歳以上です】

 

 のボタンを見てちょっと考えてしまう。そりゃ、私は実年齢上は二〇歳以上ですよ?

 

 ただ、二〇歳以上の大人と呼ばれている人達ははだかんぼの上にコートを来て夜道を闊歩するのだろうか。

 

 そもそも未成年だってそんなことしないんじゃないだろうか。

 

 だったら、このボタンは

 

【私は、はだかんぼの上にコートを着てコンビニに来るレベルですので、お酒を買う資格なんてございません!】

 

 とかにしてもらった方がいいな! 

 

 ……いや、だめだ。だって私がカルピスサワーを買えなくなるもの。

 

【私は、はだかんぼの上にコートを着て、おっぱいのさきっちょが生地に触れるたびに少しえっちい気分になってるレベルなので、店員のお姉さん、私をいただいてください】

 

 ってボタンがあったら速攻で押す。名人もびっくりの連写でレジを故障させる勢いで押す!

 

 っていうか、お姉さん可愛いな。赤縁の眼鏡可愛いな。

 

 お姉さん若いからおそらく深夜のシフトじゃないんでしょ。だったら私をお持ち帰りしてください。

 

 私なんでもします。うまく目を合わせられなかったり、うまくしゃべる言葉が見つからなかったり、足震わせたりとか。

 

 人見知り、口べた、そしてネクラノドンと、全てのスキルを解放してますから! 安心安全の実績で対応しますからー!

 

 ……まあ、そんなことを言えるわけもなく、無難にお札と小銭を渡し、無難にお釣りを受け取ることに成功した私は、ちょっとお辞儀をする。

 

 お姉さんに誘われることもなく、私はコンビニを後にする。

 

 まあ、しょうがない。というか誘われたら困る!

 

 誰も待ってないお部屋に戻るとしますか。――飲みながら!



 ぷしゅう、とプルトップを開けて、炭酸があふれないうちに口にそそぎ込む。

 

 冷たい風と温まってる身体、そこに甘い炭酸が流れ込む。

 

 あー、なんとかなっちゃいそう。全てがなんとかなっちゃいそう。

 

「先生?」

 

 誰かが誰かを呼ぶ声が聞こえた。

 

「はい!」

 

 ……あ、癖で答えてしまった。どう考えても私を呼ぶ声じゃないのに。

 

 だって、そうでしょ。眼鏡も外してるし、いつもと違うコートだし、しかもお酒飲みながら歩いてるし……そりゃお化け屋敷の私とは思わないでしょ。

 

 しまった。誰か別の人が別の人を呼んでる声に反応してしまった。恥ずかしい。ネクラノドン、一生の恥。

 

「やっぱり先生だあ」

 

 その声の主は私に近づいてくる。

 

 ……え? 本当に私に用なの? 

 

 急に酔いが覚めていく気がした。





「せーんせっ!」

「ぬわっ!」

 

 後ろから思いっきり抱きつかれた。ふわっとした髪の毛が私のうなじにあたってるのがわかる。

 

 あ……いい匂いだ。このシャンプー好き……?

 

 一瞬、髪の毛のいい匂いがしたと思ったら今度は別の匂いが漂ってくる。

 

 甘い……ような、それでいてちょっと土臭いような。

 

 あ、あれだ。これ、無理矢理出席させられた先生方の懇親会の時と同じ。

 

 ワインの匂いだ。ブドウから作られてるってのにブドウジュースとは違って変な味のするやーつ!

 

 ワイン? 先生? 

 

 ってことは……この抱きついている誰かは私の生徒で……なおかつお酒を飲んでいる?

 

 未成年の飲酒は法律で禁止されています!

 

 そんなことは小学生だって知ってる。コンビニだって未成年にはお酒を売っちゃいけないんだ。

 

 だけど、コンビニのあのタッチパネルで『二〇歳以上』を押してしまえば誰だって買えてしまうのは事実。

 

 あのパネルさえ押すことができれば赤ちゃんだってお酒を買えてしまうのだ! まあ、その前に店員が止めるだろうけどね。

 

 未成年飲酒を注意しなければ!

 

 腐っても私教師なんだから!

 

 腐り腐って、腐葉土になって、カブトムシの幼虫とかにいい栄養を与えそうなレベルで腐ってるけど、私教師なんだ!

 

「……あ、あの!」

 

 抱きついてる腕をほどいて相手を見た。

 

 びっくりした。

 

 二十三歳年間生きてきて、それでいても今までに味わったことのない感覚があるなんて……。

 

 こんなことあるんだ。

 

 顔を見た瞬間、私、この人のこと好きだ……って感じることって――。

 

 好き。癖ひとつない髪の毛とか、可愛らしい奥二重とか。

 

 そして、思わず抱きしめたくなっちゃうほど華奢な身体。

 

 わんこみたいだ。ちっちゃなかわいいしっぽをふんふんさせて私を見ている。

 

 好きだ。好き過ぎて吐くたくなってくる。

 

「せんせ?」

 

 最初は、未成年飲酒を注意するつもりだった。だって教師だもん。当然でしょ?

 

 教師じゃなくて、大人としても当然でしょ。

 

 それなのに、私は――。

 

 怒るどころか、彼女を抱きしめていた。

 

 可愛い耳を鼻でつんつんする。

 

「ん……」

 

 ふと漏れた彼女の吐息まで好きだ。

 

 好きだ。はあ、好き。

 

 顔を髪に押しつける。わしゃわしゃわしゃ。

 

 可愛いですねー。よーしよしよしよし! とどっかの動物王国の人なみに鼻をなすりつける。

 

 何やってるんだろう。私。

 

 未成年飲酒を注意できてないどころか、外で女の子に抱きついている。

 

 そして、何よりもだめなのが……。

 

 私が抱きついているこの子――。

 

 この子……いったい誰なんだろう。

 

 公衆の面前で――、片手に缶のカルピスサワー、もう片方に袋に入った大量のカルピスサワー。

 

 そして、私の腕の中には誰だかわからない女の子。

 

 そんな二三歳、酔っぱらいの夜だ。 




   ◇

 

 気が付いたら、またカルピスサワーを飲んでいた。

 

 カルピスサワーはすごいなあ。いつ、どこでのんでも同じ味がするんだもの。

 

 全く知らない子の家であっても――だ。

 

 なぜか、知らない子に抱きついたらあれよあれよという間に……その子の家に上がり込んで――、一緒に飲んでる。

 

 酔いが一周回って来て、だんだん冷静に物事を考えられるようになってきてる。

 

 うん、問題が山積みだ。

 

 まず、知らない女の子の家に上がり込んでるということ。

 

 そして、知らない女の子と一緒にお酒を飲んでること。

 

 最後に、なにより――このコートの下は、はだかんぼだと言うこと。

 

 お酒の力って偉大だって思う。だってこの状態であっても何事もなく時間が過ぎていくんだもの。

 

 携帯をいじるふりをして時間を確認する。

 

 久々に現実から逃げたくなった。

 

 だって、もう午前三時を過ぎているのだ。やばい。さすがに帰らなければ。

 

 明日だって仕事なのだ。八時前には家を出ないといけないのだ。

 

 でも、帰るにもここがどこだかわからない! わかったとしても家までの道のりが全くわからない!

 

 そうだった。勢いだけでこの子についてきただけだった。ただ、後ろをついていったらこの家――このアパートに来ちゃったのだ。

 

 この家はアパート、というにはしっかりしすぎているほど、しっかりした作りだし、それでいてどことなくおしゃれだ。ちゃっかりオートロックだし、防音もしっかりしてそう。

 

 家具も統一感がある……っていうのかな。オサレすぎてよくわからないや。

 

 とにかく、私ように近所のカインズホームで適当にやすいやつを買う……みたいなことはしてないのだろう。

 

「せんせ、いっぱい飲んだねー」

 

 改めて、この知らない子を見る。私を「先生」と呼ぶからには学校の生徒だとは思うのだけれど……なんかうちの学校特有の派手さがない。

 

 ちゃんと黒髪だし、そこまで長すぎない髪だし、ピアスもしてないし……。

 

 いや、まあ、そういう生徒だって中にはいるから珍しくはないのだけれど、少数派である分、私が覚えていない、ってことにすごく違和感がある。

 

 それに私を「先生」って認めてくれてる生徒なんているのだろうか。本当にぶつぶつぶつぶつ言ってるだけの授業をしてる私を「先生」扱いしてくれる子がいたなんて――。

 

 当の本人は、家に入るなり開けたワインがもう一本空になっている。

 

 私には、未知の世界だ。そんなにお酒を飲んじゃったらいったいどんな光景が広がっているのだろう。

 

「ねえ、せんせ。私もせんせも明日学校だから」

 

 あ、そういえば明日が学校なのは、私だけじゃないんだ。

 

 ん……でもこのタイミングで帰らされても道が……。

 

 まさか、今更、ここがどこって聞ける空気でもないし……。っていうより私が聞きたいのは、「ここはどこ?」っていうよりも「あなたは誰?」ってことだし。

 

 私は得意のフリーズをしてみせる。どうしたらいいかわからない時の昔からの得意技だ。

 

 まあ、フリーズから解除されたところで解決策なんて見えてはこないのだけれど。

 

「よいしょっ」

 

 可愛らしい声を出すと彼女が立ち上がる。

 

 そして、服を脱ぎだした。

 

 フリーズが解除されるどころか、ますます私の身体は固まってしまう。

 

 水色を基調とした可愛らしいデザインの下着、彼女はそれをぽーんと投げ捨てる。

 

 彼女もはだかんぼになった。

 

 お酒のせいでおしりもおっぱいも真っ赤に染まっている。

 

 全体的に赤くなってる彼女の身体はどことなくえっちい。

 

「寝よ! 先生も脱いで!」

 

 ねねねね……寝る?

 

 なぜか頭の中には『ねるねるね~るね』というお菓子が浮かび、そのCMに出てくる魔女のおばあさんが頭の中をいったり来たり。うまい! てーれってれー。

 

 寝る? 脱ぐ? ……脱いで? 寝る?

 

 ますますフリーズに磨きがかかっているところに、彼女が私のコートのボタンを外す。

 

 あ、だめです。そのコートを外されると……。

 

 私もはだかんぼになった。

 

「だって、もともと裸なんでしょ?」

 

 ば、ばれてました!

 

「別に恥ずかしいことじゃないよ。私も裸好きだし」

 

 そういうなり、彼女は私の手をぎゅっとつかむ。

 

 ふぅあ……、人に手を握られるなんて、高校の時のフォークダンス依頼……ってことは女の子に手を握られるのなんて……初めてだ。

 

 すべすべしてるんだな、って思う。

 

 すごく上等なシルクをさわっているような、そんな感覚。

 

 私は、彼女のオサレベッドに連れて行かれる。

 

 あああああ、これがベッドインとかいうやつですか! いや、まだ心の準備が!

 

 っていうか、そもそも私も女で彼女も女なわけだし。そんな知識も技術も持ち合わせてないっていうか!

 

「じゃあ、おやすみ!」

 

 ……え?

 

 ふかふかの掛け布団を私にかけると、彼女はそこに潜り込んでくる。

 

 そして、リモコンで部屋をやや暗くしていく。

 

 なんで、照明までオサレなんだろう。

 

 うっすらとオレンジ色な照明に包まれながら、私と彼女は横になっている。

 

 知らない女の人と裸で横になる。私の人生の中にそんなことがあるなんて――。



「ねえ、せんせ。ぎゅっとしていい?」

 

 私が答える前に、彼女がぎゅうっとしてくる。

 

 さっきの上等なシルクを身体中に纏っているような、そんな柔らかい感覚を彼女の肌から感じ取っていた。

 

 ぎゅうううう。

 

 うん。抱きしめられるって。こんなにいいものだったんだ。

 

 こんなにいいもんだったらずっと誰かしらに抱きしめられていたかったよ。そうすれば今まで何も悩むことなんてなかったのに、寂しいことも悲しいことも何も、感じることはなかったのに――。



「せんせ、かわいい」

 

 彼女は笑う。あー、こんなに可愛い子がいたんだ。

 

 近視な私には、この距離で初めてわかる彼女の顔。

 

 人見知りな私が思わず気を許してしまうような、そんな人なつっこい顔。

 

 子犬のようで、子猫のようで――、それでいて人間の赤ちゃんのようで――。

 

 この子に対する不信、だとか疑うことだとか、そんな感情は一切湧いては来ない。

 

 そうか、だから私はこの子についていったんだ。酔いに任せて――、とかテンションに任せて――、とかそんなんじゃなくって必然だったんだ。

 

 ちっちゃい頃から神様なんて信じちゃこなかった。神社で日本の神様に手を合わせ、お寺で仏様に願い事をし、クリスマスにはキリスト教の神様にお祈りした。

 

 やっぱり他人におびえるような毎日は変わらなかったし、特にいいことだと言えるような日々を送ってきたとは言い難い。

 

 だけど、この子に出会うために私に生を与えてくれたのだとすれば、もしかしたら神様はいたのかもしれない。

 

 全てはこの日のためのスパイスだったかもしれない。

 

 悲しいことも寂しいことも、辛いことも鳴きたいこともあった。だけど、それは今日のためにわざわざ用意してくれた試練だったんじゃないかって思えた。

 

 今度は、私から彼女の頭を撫でて、ぎゅうっと抱きしめてやる。

 

 あー、すっごく気持ちいい。

 

 撫でること、撫でられること。

 抱きしめること、抱きしめられること。

 

 似てるようで全然違う。

 

 共通してることは、ただただ気持ちいいってことだけだ。

 

「かわいい」

 

 思わず声に出してしまう。だけど、言ってしまったことに対して後悔だったりとか恥ずかしさとかはなかった。

 

 だって、本当のことだったから。

 

「せんせ、私そんなかわいくないよ」

「そんなこと言わない。かわいいよ。赤ちゃんみたい」

「……じゃあ、私、せんせの赤ちゃんになっていい?」

 

 彼女の小さな頭が私の胸にうずくまってくる。私はそれを包み込む。

 

「いいよ」